薬の専門家が薬を決められない日本、個性も病気にさせられているのかも!?
個性も病気にさせられているのかも
患者さんと向き合って本当にいい意味で診る良いお医者さんもいますが、その一方でデータや基準値などの診療用ガイドラインを見るだけのお医者さんも少なくありません。
基準値やガイドラインは、確かに必要になるでしょう。
ですが、目の前の患者さんが何よりも大切ではないでしょうか。
不調の原因が何かを知る為には、診察をして身体の訴えを見極めないといけません。
体調が悪いのも、もしかしたら心が疲れているのが原因かもしれません。
お医者さん自身が、患者さんの命を預かっているという意識が明確にあれば自然と問診や触診をしっかりと行うものです。
目の前にいる患者さんをしっかりと診て、要因を探し見つけ出すことが本当の意味でその人の為の治療になります。
近年、子供の心の病が増えています。
注意欠損・多動性障害(ADHD)という病名は、ニュースなどで聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
何かあると直ぐにADHDではないのかと疑って、受診させたがる教師や親が増えているようです。
さらには、少しでもその兆候が見られればADHDであると診断して向精神薬を子供に処方する医師も増えています。
向精神薬は、脳の中枢に直接働きかけるとても強い薬になります。
代表的なのがリタリンです。
1970年代、ヘロイン並みの高依存性を持つことが指摘されました。
スウェーデンでは、1968年に発売が禁止されましたが、米国ではリタリンをADHDの特効薬として使い続けました。
1995年には、国連機関国際麻薬統制委員会が米国の6歳から14歳の3~5%がADHDであると診断を受けてメチルフェニデート(リタリンの主成分)を処方されていると報告しています。
また、リタリンを服用すると活動的になり仕事がはかどるなど評判が立ち大人の間でも本来の使用法とはかけ離れた形で爆発的に広まりました。
1990年~1999年の10年間で全世界でのリタリン生産量は700%増、その90%が米国で消費されたという結果が出ています。
そんな状況の中で米国では学校内での銃乱射事件が多発しました。
犯人の少年たちを調べたところその多くが何らかの学習機能上の障害をもつと診断され、リタリンを含む向精神薬の投薬を受けていたことが分かりました。
これを受けてコロラド州は1999年、正確かつ厳密な検査を伴わずして診断されたADHD児へのリタリン投与を禁止しました。
安易はADHDのレッテル貼り、そしてリタリン投与が子供たちにとって社会にとって危険であると判断をしたのです。
その一方で日本では、リタリンをうつ病の治療薬として使用していました。
他国の動きがあっても日本は使用を続けました。
2007年ずさんな診療の結果、リタリンの依存症となってしまった人が自殺したことから、ようやくうつ病が適応症から外されました。
また、日本では小児期のADHDにはメチルフェニデートの徐放剤(コンサータ錠)が処方されています。
2007年12月に承認されたのですが、覚せい剤と似た性質を持っている為、承認にあたり厳格な規制が定められました。
コンサータ錠適正流通管理委員会を設けて処方できる医師を限定し、調剤できる薬局とともに登録制にしたのです。
登録されていない医師から処方箋が来た場合、薬剤師は調剤を拒否することとし、定期的に流通状態、処方状態の管理を行っています。
言い換えると、これほど厳格な規制が必要な危険な薬剤を子供の時から与え続けているということです。
昔はADHDという病気はありませんでした。
元気であることはその子の個性とされていたのです。
みなさんの周りにいた落ち着きがない子どもも大人になるにつれて、それなりに落ち着いて行動ができるようになっていった人たちがいるのではないでしょうか。
現在では、落ち着きがないと病気にされて薬も与えられているのです。
病気と個性の境界線は、どこなのか難しいのかもしれませんが、これは何だかおかしいのではないでしょうか。
例え薬を飲んだからと言ってADHDが治るわけではありません。
反対に薬漬けにすることで起こる可能性がある弊害の方が怖いと言えます。
少年たちの事件とリタリン服用、そしてADHD児との関係は簡単に関連付けることはできませんが、子供たちに処方される薬が一体どういうものなのか一度よく認識する必要があるのではないでしょうか。
薬の専門家が薬を決められない日本
現在の日本では、医療界によって意図的に病気を作っていると考えることができてしまいます。
例えば、血圧が高めで太り気味の状態、これは病気の症状ではなくて、少し生活を改めるようにと言う身体からの知らせと言えます。
この時に気づいて生活を正していけば、病気になることは少ないのではないでしょうか。
ですが、現代医療ではこうした症状でも薬を処方し病人にしてしまいます。
様子を見る、薬に頼らないでみる、と言うような選択肢はほぼありません。
この症状があるならこの薬、この症状もあるからこの薬、となります。
患者さんの都合、希望など聞き入れてくれない病院や医師の対応に落胆して薬局に相談をされにくる人もいるくらいです。
なぜ、こんなにも薬ありきの診療になってしまっているのでしょうか。
日本の教育では、医学部6年、医師国家試験に受かってから2年以上の臨床研究を受けて実務につきます。
この間、薬について学ぶのは週に1コマ程度です。
本業の医学の勉強だけでもとても大変なのに膨大にある薬の知識を網羅して、頭に入れるのはさらに大変なことです。
ガイドラインなどでこの症状にはこの薬を処方すると決められていると医師は、それに従って対処法を考えていきます。
なので薬ありきになっているのです。
インフォームドコンセント、セカンドオピニオンと言う言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
インフォームドコンセントとは、治療法や処方される薬についてきちんと説明を受けた上で医師と患者さんが合意して治療を進めていくことです。
セカンドオピニオン、医師の診断や治療方針に疑問を感じたら他の医師に再度、意見を求めることです。
せっかくお医者さんが自分を診てくれているのに、あれこれ聞いては失礼ではないか、信用してないと思われるのではないか、と思って質問を躊躇してしまう人もいると思います。
ですが、自分の身体に関わることを尋ねるのに遠慮をする必要はありません。
治療法や薬について分からないことがあれば、尋ねるべきですし、処方された薬を飲んで何か不調が生じたのであれば正直に伝えて考え直してもらうべきでしょう。
もし、お医者さんに尋ねることにどうしても抵抗があるのであれば、処方された薬については薬の専門家である薬剤師に聞いてみてください。
日本では薬を薬剤師が決められません。
アメリカでは医師と薬剤師が対等に意見を交換して、一緒に患者さんの対処法を決めています。
病気は治してもらうのではなく、自分で治すものです。
色々と聞いてよりよい治療環境を手にいれることが大切です。
薬づけにさせれば報酬点数が稼げる
病院で処方された薬を飲み切ることができなく、医師に怒られたことがある人もいるのではないでしょうか。
「しっかりと飲まないと治りませんよ」と。
薬局でも処方された薬は残さずに飲み切るようにと言われると思います。
これは、患者さんの為だからと思うかもしれませんが、それよりも薬を飲む習慣を身に付けさせたいと言う意識があることも否定はできないのではないでしょうか。
患者さんが薬を飲まなくなってしまうと報酬の為の点数を稼ぐことができなくなってしまいますから、言い方が悪いですが薬漬けにさせた方が良いのです。
医療もビジネスだと言うことを忘れてはいけません。
もちろん、最後まで飲み切った方が良い薬もあります。
ですが、薬を飲まずに元気でいることができるのであれば、患者さんにとってそれが一番良いことではないでしょうか。
自分の身体の状態から飲まなくても大丈夫と判断をしたのであれば、そう思った理由をしっかりと担当の医師に伝えるべきです。
処方された薬で体調が悪くなった、反対に該当症状がすっかり良くなったからもういらないと思ったなど、どんなことでも伝えるべきかと思います。
そして、今後について話し合いをしていくことが大切です。
ですが、「自分の身体のことでも専門家にしか分からないことがある」と言ってくるお医者さんもいます。
でも、自分の身体がこれは嫌だ、合わないと言っているのであれば、無視して良いわけでもありません。
自分の身体が発している声が何よりも正しいのではないでしょうか。
中には「止めても良いけど、後のことは知りませんよ」など言ってくるお医者さんも残念ながらいます。
もし、診断や薬に意見をした時に不機嫌になるお医者さんであれば、自分の身体を任せるのは危険だと思います。
そういった場合は、違う病院に行った方が良いかもしれません。
自分に合うお医者さんを探すことが重要ではないでしょうか。
参考書籍⇒薬が病気をつくる