マスクを外すのが不安な子供たち、顔を見られたくない、学力では分からない大事なこと
学童時期以降は、特に前頭前野の感受性期が始まる
乳幼児期は、特に視覚野や聴覚野の発達の感受性期になります。
この時期は、環境の影響を強く受けながら脳が発達する重要な時期です。
⇒乳幼児期の心地よい感覚が脳を育て社会性を育む、オンラインでは内受容感覚は得られない
その後、就学前くらいまでに視覚野や聴覚野の感受性期は、終わっていき環境からの影響を受けにくくなっていきます。
では、学童時期以降はどうなるのでしょうか。
この時期からは、より高次の認知機能に関わる部位が感受性期を迎えます。
特に前頭前野の感受性期が始まります。
前頭前野は、ヒトが特異的に進化の過程で獲得してきた脳部位になります。
生後4年を迎える頃から、子供たちの前頭前野は環境の影響を大きく受けて発達をしていきます。
前頭前野の感受性期には2つの時期があります。
一つ目は、4歳頃からで、二つ目が思春期です。
思春期は、さらに環境の影響を強く受けて前頭前野の神経ネットワークが変化していきます。
このことを踏まえた上で、これまで徹底されてきた感染対策や新しい生活様式の長期化が子供たちにどのような影響を与えてきたのかを考えていきたいと思います。
今、小中学校に通っている子供たちは、幼少期にコロナ前の生活を体験している世代です。
当たり前ですが、マスクもせずに他者と触れあいコミュニケーションをしてきた経験があります。
この世代の子供たちにとってパンデミックによって強いられた新しい生活様式の実践は意識するしないを問わず、間違いなく心身にストレスを与えてきたと思います。
友達と身体をくっつけ合って遊ぶ、おしゃべりをしながら笑い合って食事をするのが当たり前の日常が、ある日突然奪われてしまったのですから。
親や先生、周囲の人から「マスクをちゃんとするように」「消毒をするように」「友達と机を離して、おしゃべりをしないように」などと言われたら子供たちは、それに従うしかありません。
コロナ当初のあの空気感を子供たちも十分に感じていたことでしょう。
当たり前にあった日常が、ある日突然奪われて、よく事情が分からずに子供たちは大人に求められることに従ってきたのです。
個人差は、もちろんありますが子供たちの心に大きな影響を与えたのは確かではないでしょうか。
しかし、あれから3年も経ち、子供たちもマスクをするのが当たり前の社会に順応してきたと言えます。
最近では、「マスクは個人の判断」となり、マスクをすることが前提で社会関係を作ってきた子供たちにとってマスクを外すことは、また新しい状況に順応しなければいけないということになります。
そもそも日本では、一度もマスク着用は義務付けられていないので、個人の判断でと今さら言うのもおかしな話なのですが。
顔を見られたくないマスクを外すのが不安
子供たちにマスクを外すことを求めるなら慎重に進めるべき問題かもしれません。
マスクはしないほうが子供にとっては良いことではあっても、その単純な理解ではダメかもしれません。
今ではマスクを外させること自体、子供たちにとっては大きなストレスになっているからです。
ある女子中学生のこんな話があります。
卒業アルバムを作る為に、ある日マスクを外す機会がありました。
その時、クラスメイトの素顔を初めて見て「こんな顔をしていたんだ」ととても驚いたそうです。
そして、彼女は「早く撮影が終わってほしい、マスクをしたい」と思ったそうです。
自分もクラスメイトから「あんな顔をしていたんだ」と見られることが不安だったようです。
3年もマスクをする生活を続けてきているのです。
マスクを外すということは、対人関係に敏感になる思春期の子供たちにとっては不安を高めることにもなると言えます。
また、修学旅行についての話もあります。
ある中学校では、コロナによって二度延期になって最終的には前面中止になってしまいました。
その決定を先生から聞いた時、その子は残念だとは全く思わなかったそうです。
修学旅行に行ったって、黙ってバスに乗り、黙ってご飯を食べるだけ、という気持ちがあったそうです。
これは、友達と密な時間をもちたい、楽しみたいという期待すら抱けなくなっているのではないでしょうか。
期待してもかなわないことがあまりにも長く続く日常の中で、子供たちなりにストレスに順応してきた結果ではないでしょうか。
コロナによる生活の変化で子供たちは、特に大きなダメージを受けたと思います。
コロナによって劇的に変化した生活の中で成長してきた世代、そしてこれから生まれてくる子供たちは今後どのように脳と心を発達させていくことになるのでしょうか。
大人になった時、どのような脳や心を持つ存在になっているのでしょうか。
その答えは、まだ分かりません。
今だけを見るのではなく、より長期的な視点で子供たちを見守っていく必要があるでしょう。
小中高生たちがマスクをした生活を続けていくことによる社会性の変容については、早い段階で見えてくるかと思います。
学力では社会性は分からない
文部科学省が令和4年度の小中学生を対象とした「全国学力・学習状況調査」結果を公表しました。
全体で見るとコロナ前の前後で学力低下などは見られなかったようです。
学力に問題なかったとして、多くの人が安心したかもしれません。
しかし、「学力さえ問題がなければそれでいいのか」ということです。
子供たちは、部活動や文化祭、合唱コンクール、修学旅行などの活動が制限されてきました。
これは、学力という指標だけでは評価できない能力、感性や協力性、社会性などの能力については、この調査結果では全く分からないのです。
音楽の授業では、飛沫を飛ばさないように声を出さないで心の中で歌うようにと指導されることもあるようです。
先生がピアノを弾いて子供たちは起立したままただ黙っている、これは異様な光景ではないでしょうか。
合唱やダンスなどの身体を使った集団活動は、ヒトに特有の脳と心の発達を支える重要な経験になります。
脳科学や心理学の分野ではよく知られていることですが、目の前にいる他者の仕草、表情、動きなどに同調すると、その人に対する親和的な気持ち、仲間意識が高まっていきます。
私たちは、誰かの話を聞いている時、うなずいたり合いの手を入れたりします。
こうした同調行動によってお互いの共感が高まって心的距離が縮まっていきます。
このような同調行動は、社会性動物であるヒトにとってとても重要です。
メンバー間の絆、集団内の結束を高めていくことになるからです。
みんなで合唱し演奏をする、ともにリズムを刻む、身体を伴って他者、集団と同調するという経験は、仲間同士の信頼や絆を深めて、社会性の発達を支える重要な役割を果たしています。
これは、極めて社会的な生物であるヒトにとっては不可欠なものになります。
学力が低下してないから問題ない、ではあまりにも短絡思考です。
社会性の発達を支える重要科目の評価を無視して問題ないとしてしまってはいけません。
こうした経験を得る重要な教科がコロナで制限されてしまうこと、その問題に気付かないといけないのです。
先生が子供たちに、笑って「よくやったね」と頭をなでる、こうしたやり取りが子供たちの自己肯定感を高めて、また頑張ろうという動機付けになっていたはずです。
特に学童期は、親だけでなく、先生や友人をはじめとする様々な他者から褒められることで「やればできる」「チャレンジしよう」という動機と冒険心を高めて巣立ちの準備を始めていく時期です。
しかし、先生や友人の表情が確認できない、触れ合うこともできない日常で子供たちは自分に自信と勇気を高めていく機会を得ることが難しくなっているのではないでしょうか。
自分自身を評価する手段、機会が減っている日常では、テストの点数が自分を評価する手段となりがちでしょう。
いわゆる進学校では、ある程度それでも良いかもしれませんが、全ての子供に当てはまるわけではありません。
音楽でもスポーツでも趣味でも、何でもいいのです。
客観的指標による他人との比較だけではなく「昨日の自分よりも今日の自分のほうが良い」と自ら実践できる経験を得ることがヒトにとって大切なことではないかと私は思います。
参考書籍⇒マスク社会が危ない 子どもの発達に「毎日マスク」はどう影響するか?