「夢」が若者を追い詰める?ドリーム・ハラスメントという病理と自己責任論の罠
現代の日本社会には「夢を持つこと」を美徳とする風潮が溢れています。
しかし、その「善意」が若者たちを精神的に押しつぶしているとしたら――。
「夢」を強要される若者たちとドリーム・ハラスメント
キャリア支援の現場では、多くの大学生が次のような問いに苦しんでいます。
- 「将来の夢を教えてください」
- 「10年後、あなたはどうなっていたいですか?」
夢がないことに罪悪感を抱き、答えに窮する若者たち。
このように大人や社会が若者に夢を強制する現状を、一種の「ファシズム」や「ドリーム・ハラスメント」であるかもしれません。
社会ルールの変化と「夢」が持ち出される背景
かつての日本には、「真面目に勉強して良い大学に入り、一流企業に就職すれば一生安泰」という暗黙の合意(自然なルート)が存在しました。
その為、あえて個人的な「夢」を語る必要性は低かったのです。
しかし現在、特に中堅以下の学校では、生徒に勉強や通学のモチベーションを持たせることが困難になっているようです。
その解決策として、いまや「夢を実現するためには頑張らなければならない」という論理が、なかば強制的に利用されるようになりました。
「大人の都合」で利用される夢と自己責任論
なぜ、これほどまでに社会は「夢」を氾濫させるのでしょうか。
その背景には「大人の都合」があるのではないでしょうか。
- 社会問題のすり替え
フリーターやニートの増加という構造的欠陥を、本人の「意欲(自己責任)」の問題に置き換える。 - 安易な期待
夢を持たせれば働く意欲が回復し、就職難や非正規雇用問題も解決すると夢想する。
まとめ:社会構造の欠陥を「心の問題」に転嫁する装置
若者に夢を語らせることは、一見ポジティブに見えます。
夢を語らせるのは、良いことだとは思いますが、その実態は社会が抱える構造的な問題を個人の心の問題へと転嫁するための装置になっているのではないでしょうか。
「夢を持たなければならない」という圧力が、若者の可能性を広げるどころか、むしろ彼らを追い詰めている現実を直視する必要があるのかもしれません。
参考書籍⇒無理ゲー社会
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