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脱脂粉乳は豚のエサ、敗戦を期に日本の食事が変化、アレルギーは1970年以降増加

脱脂粉乳は元々豚のエサだった

日本の食事に大きな影響を与えたのは、第二次世界大戦の敗戦です。
私は、敗戦を直接知っているわけではありませんが、敗戦によって今まで正しいと信じられていたことが覆った、と言うことがあちらこちらで起こりました。
私たちの食文化も敗戦をきっかけに大きく変化しました。

敗戦後日本は、しばらくの間、国民全員が植えた状態でした。
そこで戦勝国であるアメリカが連合国軍と言う名のもと進駐して、同時に行ったのが食糧援助でした。

アメリカが日本に援助したのは、小麦と粉乳です。
アメリカは、1930年くらいから化学肥料を使い始めていました。
化学肥料を使うことによって豊作の時代が続くようになります。

一番の豊作は小麦だったので大量に生産された小麦が余っていたので牛に食べさせていました。
そして、牛がたくさんお乳を出すようになり牛乳も余ってしまったのです。
余った牛乳の濃厚な部分を使ってバターやチーズなどを製造して自国で消費をしていました。
ですが、一番おいしい濃厚な部分を除いたぬけがらのような牛乳はたくさん余っています。

脱脂粉乳は、この余った牛乳を粉末にした物で脂を抜いた粉乳のことです。
当時、アメリカでは脱脂粉乳は人間が食べる物ではないとされていて、豚のエサになっていました。
しかし、それでも余っていたのです。

では、この余った脱脂粉乳をどうしたのでしょうか。
知っている人もいるかと思いますが、日本に大量に送られてきたのです。
つまり、戦争に負けた国に食べさせようと言うことです。

当時、戦時物資を運ぶリバティ船と言う船がありました。
リバティ船には、大量の小麦粉と脱脂粉乳が積まれていました。

脱脂粉乳は、もともと有り余っていた物でお金にならないので、1年間は無償で援助されていました。
援助と聞くと良い話しのように思うかもしれませんが、それ以降は日本がお金を出して買っていたのです。
それが、戦後の給食にも出されていました。

当時を知っている人は、脱脂粉乳なんてまずくてとても飲めた物ではなかったと言っているのではないでしょうか。
このようにして、ほぼ強制的に食材が調達されるところから学校給食が成立していったと言うわけです。

餌付けされた日本人

アメリカは、どうしても日本に小麦と牛乳を定着させたかったと言う事情があったのです。
定着させるのに、手っ取り早く最も巧妙な方法は、日本国民を餌付けさせることだったのです。

何かを定着させるには、幼いころから食べてもらうことが最も有効です。
ハンバーガーチェーンがおまけを付けて子供たちを取り込もうとする理由もここにあります。

それを徹底させる為に赤ちゃんに粉ミルクを飲ませることを推奨しました。
この頃は、母乳よりも粉ミルクで育ったと言うケースが多いのではないでしょうか。

乳業メーカーには、母子健康手帳を作成させます。
そこには、生まれたらなるべく早く人工の粉ミルクを飲ませましょう、と言うようなことが書いてあります。
母子健康手帳は、妊娠して区役所に届ければ全ての母親が受け取ります。
いかにも公的な書類のように見えるかと思いますが、その裏にはこのようなことがあったのです。

粉ミルクで育った子供は、幼少期になればそのまま牛乳を飲むようになります。
そして、大人になっても牛乳を飲む習慣が続きやすくなります。
牛乳を売りさばきたい側の人間にとっては、とてもよくできた仕組みと言えます。

一方で街中では当時の農林水産省がパンを推奨していました。
スピーカーのついた車で「パンを食べましょう」と訴えていました。
田舎の田んぼ道でさえこれが行われていました。

それが功を奏して数十年後には日本人は、お米よりも小麦を多く食べる民族になったわけです。
それは現在でも続いています。

敗戦をきっかけに日本人の食事はガラリと変えざるを得なかったのです。

1970年を境にアレルギーの子供が増加

悩むイメージ

1970年に開かれた大阪万博も日本人の食事の大きなターニングポイントになりました。
当時は、高度経済成長の真っただ中にありました。
この頃に発売されたのが粉末状のだし調味料です。
多くの家庭でだし調味料は使われるようになりました。

大阪万博で初めて登場したのがハンバーガー、フライドチキン、ドーナツなどのファストフードです。
インスタントラーメンは既にありましたが、それまで日本人にファストフードと言う概念がありませんでした、

これと時を同じくして日本ではアレルギーの子供が出始めていきました。
それまでアレルギーの受診者の記憶はほとんどなく、アトピー性皮膚炎に限ればゼロでした。

1970年を境にアレルギーの子供が増えていったのです。

ある幼稚園の統計によると新しく入園してくる園児のうち17%が何かしらのアレルギーを持っていることが分かったそうです。
約5人に1人が食材に対してアレルギーがあったとのことです。

アレルギーと言うことは、食べ物に何かしらの拒絶反応を示していると言うことです。
私たちの身体は、そう簡単に変わる物ではないはずです。
1970年以降にアレルギーを発症した子供たちも急に変わったとは考えにくいのではないでしょうか。

もしかしたら、食べ物が何世代にもわたって身体に影響を及ぼしているのかもしれないのです。
当時食べていた物が蓄積されて世代を通して何らかの症状を起こしている可能性もあるのかもしれません。

1970年当時、女性が子供を産む平均的な年齢は25歳くらいです。
彼女らが生まれたのが1945年頃で終戦の時で小麦や脱脂粉乳を食べるしかなかった世代になります。
ですが、この女性たちが産んだ子供達にはまだアレルギーは出ていませんでした。
なので見過ごされていたのでしょう。

そして、この子供たちの子供、主に2000年代に生まれた子供には多くのアレルギーが出ていいます。
この先どうなるか分かりませんが、もしかしたら、どんどん増えてくる可能性が高いのではないでしょうか。

自分がこれまで食べてきた物が、自分の子供、孫世代にも影響を及ぼしているのかもしれないのです。

今アレルギーを持っている子供は、成長途中で何かしらのアレルギーを発症することもあるかもしれませんが、すでに生まれた時からアレルギーを持っている子供も多くなっているのです。